自然体、ありのままに。

いたって平凡、将来に悩む、30手前。

一握の砂

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"箸止めて  ふつと思ひぬ やうやくに

 世のならはしに 慣れにけるかな"

 

石川啄木

 

どうも、こんにちは

 

いきなり短歌から入りましたが、

 

中学生の頃だったか、

なんとなく手に取った、石川啄木の歌集を読み、

 

その天才的な感性と、

未だ理解できぬ奥深さに魅了され、

続けることを知らない少年が珍しく没入していたことを、思い出しました。

 

中でも好きなのが有名な『一握の砂』

 

その中に上記の詩があります。

 

難しい言葉や学びに触れると、

その当時は理解できなくても、歳を重ね、

 

経験とともにわかるようになる事は多く、

 

この詩もまた、そのひとつ。

 

 

解釈としては、

食事中無意識に作法通りに食事をしていて、

それに気付いて箸を止め、

あんなに世に背き続けた自分が

とうとう世の慣わしに慣れて自分を押し隠し

真面目につとめているんだ、と実感した場面。

(一部サイト引用)

 

 

まさに、これと同じ瞬間を

私の人生の中で経験したのが先週の話。

 

食事でこそなかったが、

マナーが試される場面で、淡々とこなす自分に対して

 

「ああ、私も世の中に染まったもんだ」と思いました。(笑)

 

これまで決して真面目に、愚直に、生きてきた訳ではない私の人生…

 

やれこう言われ、

やれああ言われても反発し、

 

自分の中の至らぬ絶対的な価値観を死ぬ気で守っていました。

 

しかしそれも、一人暮らしを始めた頃でしょうか、

段々と落ち着き、次第に世の中に馴染んでいきました。

 

みんなに囲まれていると1人になりたくもなるものですが、

 

いざ1人になると、途端に寂しくなり、人を求め出すもの。

 

手離してみて気付くことのまあ、多いこと、多いこと。

 

 

最初は尖っていた石も、荒波にもまれ、

次第に丸くなるように、私も順調に角がとれ、丸くなりました。(笑)

 

人生は経験で、それを身をもって体験することが大切と気付きます。

 

もはや自然の摂理なんでしょうね。

 

それが啄木の生きた時代にも当たり前にあって、

彼の天才的な表現がこの詩を作ったと、そういうことみたいです。

 

 

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