自然体、ありのままに。

いたって平凡、将来に悩む、30手前。

突然の新型コロナ感染

ついに私のところにも来た!!

 

そんな印象でした。

 

先月下旬、突然の新型コロナに感染した時の話をします。

症状や経過など、今後に少しでもお役に立てればと思います。

 

9月25日(日)の朝

寝起きからなんか喉痛いなと思いつつ通常通り生活していました。

口を開けて寝たのかな?と思うくらいの痛み。

 

それでも徐々に痛みは強くなり

25日の夜、いつものように床につき眠りました。

 

すると、26日の深夜3時頃

激しい悪寒に襲われました、毛布を羽織っても寒いと感じる

何かこう、内側から寒い感じがしているような

そんな感じの症状が出て

 

寝室からリビングに移り様子を見ることに。

 

静かな暗い部屋に広がる、

まだ自分しかその症状を知らない孤独な時間。

 

念のため熱を測ってみると...

 

37.7度!!熱ある!!

 

というか待てよ...

この症状何か経験したことあるな...

 

そうだ!ワクチンの副反応だ!

ワクチン打った日の夜も同じように悪寒に襲われ発熱していました。

 

その時、私の中で色々悟ったのを覚えています。

 

そう、前回(ワクチン)はわざと微量のウイルスを入れたけど、

 

今回はがっつり、ホンモノが来たんだと...。

 

そこからどんどん熱は上がり、39度台まで上がりました。

 

起きる頃には、関節通と激しい頭痛にも襲われ

 

意識が朦朧としていました。

 

なんとか病院へ行き、

PCR検査を受け、翌日の結果を待つことにしました。

 

翌日電話があり「陽性ですね」と

もう何回もそう伝えてきたのがわかるような慣れた感じで言われ

ついに私も新型コロナに感染しました。

 

そこからは薬を飲み、ひたすら寝るの繰り返し

大量に汗をかくように布団を何枚も被り寝ました。

 

ちなみにこの大量に汗をかくと風邪が早く治るというのは

 

神話だそうですね。

 

正確なエビデンスはないのだそう。

 

それでも私は、スッキリする感じがするので

しっかりと水分補給をしながら、いつもそうやってウイルスと戦っています。

 

2日もすると症状は治まり、

微熱と咳と関節痛が続く状態に、

3~4日する頃には熱も完全に下がりました。

 

恐らくここも個人差があると思います。

私は基礎疾患はなく、喫煙もしないので重症化はしませんでしたが、

偏頭痛を持っているので、それが併発して頭が破裂しそうなくらい痛かったです。

 

大きな症状が去った後は、

後遺症が待っています(これが結構つらい)

 

私の場合

 

・倦怠感

・咳・たん・鼻水

味覚障害

・関節痛

 

これらの症状がありました。

 

咳とかは当然つらいですが、

個人的に一番つらかったのは、味覚障害です。

 

何を食べても味がしない

においも全然感じない状態で、

 

食事をするのも味わうのではなく、

とりあえず口に入れているという感じでした。

 

それらの症状も2週間ほどすると落ち着き

 

味覚は戻り、関節痛は消え

 

最後に残ったのは

咳と倦怠感でした。(今も症状があります)

 

ただ倦怠感に関しては

 

いつもの仕事のだるさなのか

新型コロナによるだるさなのか

 

見分けがつかないのが正直なところです(笑)

 

私の場合、症状がでましたが

重症化せず、後遺症ひどくなくという感じでした。

 

人によっては無症状だったり、

命にかかわるほど重症化したり、後遺症に1年以上悩む人もいます。

 

自分の体は自分が一番よくわかっていると思いますので

日頃から、万が一かかった場合の対策をしていることが大切だと実感しました。

 

ちなみに、東京都の場合

申請すると以下の様な食料を送ってもらえます。

 

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一人暮らしの場合や同居人もコロナになった場合などに利用できてとても便利です。

 

ただ、私の場合届くのに3日ほどかかりました。

 

やはり日頃から食料を蓄えていることは大切です。

 

以上が私の経験した新型コロナ感染の記録でした。

 

 

 

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日本アニメ発祥の地

日本が世界に誇る「アニメ」

その発祥の地が、我らが練馬区にあります。

 

その場所は「大泉学園

 

東京都の人気の駅ランキングでも

常に上位にある、ファミリーにも単身にも人気の街です。

 

駅前にはデパートや商業施設が多く、

大泉学園通りは桜の名所としても知られています。

 

そんな大泉学園の駅に降りると

こんなモニュメントが出迎えてくれます。

 

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さらにはこんな自動販売機も。

 

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さらに駅前には

 

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大泉アニメゲートというものがあり、

 

鉄腕アトムあしたのジョーラムちゃんなどの

キャラクターの銅像があります。

 

 

少し歩くと

 

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東映東京撮影所があります。

 

数々の名作がここで誕生しました。

 

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その近くには東映アニメーションミュージアムもあります。

 

 

 

アニメやドラマ好きの方はぜひおススメです!

 

 

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差別をなくしたい

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この世界から差別をなくしたい。

 

そう思ったのは、海外勤務で米国のニューヨークに居たとき、

街を歩いていると、明らかにアジア人を差別する言葉を聞きました。

 

もちろん、私に向かってです。

 

特別怒りは覚えませんでした。

何せ初めての経験、今まで考えもしなかった出来事でしたので。

 

ただ、驚きはしました。

 

「本当にあるんだ」そんな感じです。

 

以後も滅多にないですが、

それでも一定の頻度でそういう機会に出くわしました。

 

 

私が差別に対して

強い関心を抱くようになったのはそれからです。

 

米国は多様性の象徴

 

そう思って、ワクワクしていましたが、

それは半分本当で、半分は嘘です。嘘というか幻想です。

 

紐解いてみれば、人種・人権問題は

米国の歴史そのものと言ってもいいくらい

結びつきの強いものでした。

 

「全員が全員ではない」

 

というのがこの話の結論ですが、

 

その通り、差別など考えない善良な人もいます。

というか、そういう人が殆どです。

 

しかし、一部の人は、

白人至上主義を掲げ、他人種を軽蔑します。

 

さらには覇権国ならではの、

米国至上主義というのも存在します。

 

そしてそれに影響を受けた人が染まり、

 

その輪は、悪い形で広がっていきます。

 

 

そうして、迎えた2016年の大統領選挙

 

米国の"分断"はもはや

手のつけようのないところまで広がり、

 

それに気付けなかったヒラリー・クリントン氏は敗れました。

 

 

私は現在、日本で仕事をしていますが、

 

米国の友人と連絡を取る際などは、

「相変わらずだよ」という悲しい近況を耳にします。

 

コロナ禍でアジア人差別は加速し、

黒人差別も依然として根強くあります。

 

 

「肌の色が違うだけ」

 

もう、答えは出ています。

たったそれだけ、他の細かな部分で違いはあるかも知れませんが、

大きな違いとしてはそれだけ。

 

目があって、鼻があって、口があって、脳と心臓があって...

 

皆、同じ人間です。

 

悲しいことがあれば、泣くし

嬉しいことがあれば、時に我を忘れて喜びます。

 

皆、同じ人間なんですよ。

 

なのに、たったそれだけで、

もちろん色んな歴史的背景があるとは思いますが、

たったそれだけのことで、悲しみが生まれ、争い合うという現実があります。

 

そしてこれは遠い異国の話ではなく、

 

実際に日本でもあります。

 

人種差別、貧富の格差、男女差別など…

米国と比べたら出会う機会が少ないかも知れませんが、

そういったものが存在するのは事実です。

 

特に貧富の格差に関しては、

これから確実に表に出てくる問題だと思います。

 

それはやがて分断を生み、

お互いを理解することを忘れたとき、差別や衝突へと繋がります。

 

 

大事なのは、自分と違う立場の人間を知ることです。

 

想像力を使う必要はありません。

 

検索すればいくらでも出てきます。

 

1ミリでも、知っていれば

理解が変わります、表面以外のことも見えてきます。

 

そして、行動に移していく。

 

そうすれば、少しずつ未来を変えられます。

 

少しの理解が、世界を変えるんです。

 

そうした行動をまずは自分が率先してとっていきたいです。

 

 

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終わりに際立つ季節

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いつものジョギングコースを歩いていると、

草木が生い茂る練馬区らしい、そして夏らしい景色に包まれる。

 

そして夕立に降られ、雨が止んだあと、

夕陽が去る前に、今日の出来事を報告しているような、

 

そんな夜とのコントラストの狭間。

 

なぜだろうか、雨が降るとにおいを強く感じるようになる。

 

土の香り、木や葉の香り、花の香り、

そして雨の香り?そんなものがあるかはわからないですが、

 

そのにおいはとても好きです。

 

そんなこんなが重なった瞬間、強く季節を感じる。

 

そして不思議とそれは、季節の終わりにやって来る。

 

いつもそう、もうすぐ冬が明ける頃に

死ぬほど寒くなったり、涼しくなってきた頃に

最後と言わんばかりに暑くなったりする。

 

季節には、そんな性格がある。

 

まるで「じゃーね」と言ってるみたいです。

 

 

話は変わりますが、

 

私は物には魂が宿ると思っています。

 

全ての物質、人も物も、全て

小さな粒子、原子からできています。

 

要は、何で形をとっているかという話だと思うんです。

 

たまたま、今回自分は人間だっただけで…

 

そういう風に昔から考えてます。

 

だから、物は大切に使いますし、

簡単に物を捨てることもありません。

 

 

壊れたら、まず直す。

 

直るかどうかはわからないですが、

 

壊れたものを直して

初めて自分の物になった様な感覚を持つこともあります。

 

もちろん、もうどう考えても必要ないし、

非効率だし、スペースにお金を取られる場合は

 

躊躇はしますが、ちゃんと捨てます。

 

 

この考え方の長所は、

物を大切にできる、物にあたらないなど、

 

反対に短所は、

情が移りすぎて判断が鈍るなど、

 

良いところもあれば、悪いところもある感じです。

 

それぐらいがちょうどいいですかね。

 

 

話は逸れましたが、

万物にはそういった魂のようなものがあり、

 

それが自分の周りをうごめいている。

 

これが昔から私が感じている世界です。

 

 

この季節の話もその一端、

 

ただ、どこかの宗教みたく、

それを他人に押し付けようとは思いません。

 

これは自分が生まれ持った感性かと思います。

 

どんな感性も大切にしなければ、失われるものです、

 

これからも、大切にして生きていきたいです。

 

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一握の砂

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"箸止めて  ふつと思ひぬ やうやくに

 世のならはしに 慣れにけるかな"

 

石川啄木

 

どうも、こんにちは

 

いきなり短歌から入りましたが、

 

中学生の頃だったか、

なんとなく手に取った、石川啄木の歌集を読み、

 

その天才的な感性と、

未だ理解できぬ奥深さに魅了され、

続けることを知らない少年が珍しく没入していたことを、思い出しました。

 

中でも好きなのが有名な『一握の砂』

 

その中に上記の詩があります。

 

難しい言葉や学びに触れると、

その当時は理解できなくても、歳を重ね、

 

経験とともにわかるようになる事は多く、

 

この詩もまた、そのひとつ。

 

 

解釈としては、

食事中無意識に作法通りに食事をしていて、

それに気付いて箸を止め、

あんなに世に背き続けた自分が

とうとう世の慣わしに慣れて自分を押し隠し

真面目につとめているんだ、と実感した場面。

(一部サイト引用)

 

 

まさに、これと同じ瞬間を

私の人生の中で経験したのが先週の話。

 

食事でこそなかったが、

マナーが試される場面で、淡々とこなす自分に対して

 

「ああ、私も世の中に染まったもんだ」と思いました。(笑)

 

これまで決して真面目に、愚直に、生きてきた訳ではない私の人生…

 

やれこう言われ、

やれああ言われても反発し、

 

自分の中の至らぬ絶対的な価値観を死ぬ気で守っていました。

 

しかしそれも、一人暮らしを始めた頃でしょうか、

段々と落ち着き、次第に世の中に馴染んでいきました。

 

みんなに囲まれていると1人になりたくもなるものですが、

 

いざ1人になると、途端に寂しくなり、人を求め出すもの。

 

手離してみて気付くことのまあ、多いこと、多いこと。

 

 

最初は尖っていた石も、荒波にもまれ、

次第に丸くなるように、私も順調に角がとれ、丸くなりました。(笑)

 

人生は経験で、それを身をもって体験することが大切と気付きます。

 

もはや自然の摂理なんでしょうね。

 

それが啄木の生きた時代にも当たり前にあって、

彼の天才的な表現がこの詩を作ったと、そういうことみたいです。

 

 

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自然体、ありのままに。

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はじめまして!今日から少しずつ

続けられる程度に、ブログを書いていければと思っております。

 

Twitterではネリタロとして

練馬区のPRを日々行っておりますが、

ここではプライベートなことや、人生的な価値観、趣味、独り言も

沢山書いていきたいと思います。

 

さて、早速ですが、

日々生活するうえで「目標」とは非常に大切です。

 

ネリタロとして練馬区をPRする際は、

 

・一人でも多くの方に練馬区を良いと思ってほしい

・今練馬区に住んでる方にも、良さを再認識してほしい

練馬区の人口増加や益々の発展に貢献したい

 

など、という目標が一応あります。

 

何事もそうですが目標があるのと、

ないのとでは、行動力も、行動の質も変わってきます。

 

以前の私は、目標も、目的もなしに

ただ、淡々と作業をしたり、生きている状態でしたが、

 

経験が増すうちに目標の大切さに気付くようになってきました。

 

そして最近、深く考えるようになったのは、

 

人生においての「目標」です。

 

人生の「目標」ってなんだ?

でも、それがあるときっと今より活発になって

やる気も出て、毎日が有意義になるだろうと、そう直感的に思います。

 

そして、考えた結果

 

「自然体で、ありのままの自分でいること」

 

が、人生の目標になりました。

 

少し、的外れかな?

自分の中では納得したつもりでいます(笑)

 

自然体で、ありのままとは、

 

着飾らず、無理せず、背伸びせず、

かつ、自分が自分でいいなと思う長所を存分に発揮できている状態のことを

私の中ではいいます。

 

例えば、学校や会社で

人と接する時は、少なからず、自分とは違う自分で

 

接することが多いと思います。

 

もちろん中には公私ともに素のままという方もいると思いますが

 

中々そうはいかないのが現実です。

 

それをできるだけ、ありのままの自分でいられる様に努力すること。

 

 

そして、周りの環境も大切です。

 

ただ、子供の頃や、学生の頃の様に

自分で自分の周りの環境を選べない・選びにくいのに対し、

 

大人になると比較的自由に環境を選べます。

 

仕事では無理でも、

プライベートではそれが可能です。

 

こうして、自ら自然体でいられる環境を探すこと。

 

 

そして、これらを追求するために大事なのは、

 

比べないこと、見栄を張らないこと、素直であること、努力できること...

 

こういったことが必要かと思います。

 

理想を言えば、

 

自分の好きな分野で努力でき、

確かな実力を身に着け、比べることをせず

互いを認め合って、成長していける、そんな生き方、関係でしょうか。

 

大金を持っても、自分が本当に大切にすべき

価値観を守れる、そんな人間になりたいです。

 

 

まあ、要するに「無駄な無理をしない」ってことですね。

 

実益のない、虚無なものにお金や時間をかけるのではなく

 

自分が自然体で、ありのままでいられるようにこれからも努力していきたいです。

 

 

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